2013年07月04日

まとめ下書きパート2

今回は近代座の設立者である根本嘉也さんについてのまとめ・・・の下書きです。
下書きを読み返してみて、うーん、ちょっと長ったらしいかな、削れる部分ありそうだな…とか考え中。
文面が完成したら、近代座の文章ともどもニコニコ大百科にでも寄稿しようかなと思います。
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根本嘉也
1926年1月9日、神奈川県生まれ。

1950年、早稲田大学文学部芸術科演劇専攻を卒業(※1)。
在学中に坪内士行(※2)の授業を受けたことがきっかけでシェイクスピア作品に興味を持ち、以降の生涯をシェイクスピア作品の普及と啓蒙にささげることになる。

卒業した1950年に知り合いを集め、「近代劇場」(※3)という劇団を結成する。近代劇場はシェイクスピア作品を専門に上演することを目的に設立された劇団で、加藤長治など早稲田大学教授たちが顧問として参加していた。この近代劇場の舞台はテレビ放映されることもあった。

近代劇場を主宰しシェイクスピア劇を演じ続ける傍らで、副業としてテレビドラマに俳優として出演する。俳優業については、根本氏だけでなく、近代劇場の団員にも仕事を回していたようである。

1966年秋、近代劇場の名称を「劇団近代座」に改める。

この頃、テレビ業界ではテレビアニメ産業が加速。根本氏を含む近代座の団員は、テレビの仕事としてドラマ俳優に加えアニメの声当てなども引き受けることになる。

1974年、「チャージマン研!」の声の出演にて劇団近代座とクレジットされる。しかしながら、このチャージマン研!は資料がほとんど残っていないアニメで、近代座の誰がどのキャラの声を当てていたかという記録が一切残っていない。これが、40年近くたってチャー研研究者たちを悩ませることになる。

全盛期は団員が100名以上いた近代座も、1970年代後半には活動を見せなくなる。関係者の証言によれば、この頃からの近代座は事実上根本氏の個人活動名義のようなものになっていた。

その後、アーツビジョン(※4)に所属。この頃の仕事についても文献がほとんど残っておらず、関連書籍を当たってみても根本氏のプロフィールが2、3行で納められていることがほとんどである。
関係者による証言(=ウワサ)によれば、そもそも根本氏はこの頃には副業などせずとも生活できるほど本業が充実しており、また当時のアーツビジョンの社長であった松田咲實と知り合いであったり、現場で根本氏から演技指導を受けたという話がある。これらを統合すると、知り合いであった松田咲實からの依頼で、アーツビジョンに演技指導のため在籍していた可能性があったということになるが、もちろんこれは筆者の推測の域を出ない。

90年代後半、かつての近代座の団員と再会。近代座として活動を再開することになる。
ちなみに近代座を再開する直前の頃には「根本嘉也と子羊たち」という劇団を主宰していたようだが、詳細は不明。
また同時期にアーツビジョンを離れた形跡もあるが、これについても具体的な年月は不明。

再び近代座としてシェイクスピア作品を演じながらも、2004年2月15日、死去。享年78歳。
根本氏の死後、近代座の活動は会田由来が引き継ぐことになる。


※1 文学部に1946年設立された芸術科の第一回卒業生。年度でいうと昭和24年度であり、資料には24年卒業と書かれている。
※2 シェイクスピア研究の第一人者である坪内逍遥の甥であり、養子。
※3 命名者は演劇研究家で演劇博物館館長(当時)の河竹繁俊。
※4 声優プロダクション。1984年設立。

参考文献
大木豊 ・菊池明・黒川義博・林京平・根本嘉也 (1960) 「芸術科の草創期を語る(座談会)」 『早稲田演劇』,(6),108-119
VIPタイムズ社 (1980) 『日本タレント名鑑 1981』,150
キネマ旬報社 (1996) 『声優事典』,第二版,231
劇団近代座第22回公演「真夏の夜の夢」パンフレット
posted by SatoshiMcCloud at 05:32| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月28日

まとめ下書き

劇団近代座についてのまとめ・・・の下書きです。
今日はちょっと仕事前に目が覚めてしまったのでそのまま勢いでまとめてしまったのですが、もうちょっと推敲に時間が欲しいという中でもう出勤時間なので、とりあえずメモのままここにアップしちゃいます。

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劇団近代座とは、シェイクスピア作品を専門に演じ続けてきた劇団である。

おおまかな歴史

1950年、早稲田大学文学部芸術科演劇専攻卒業生の根本嘉也によって「近代劇場」として設立された。
顧問には坪内逍遥の直系の教え子であった加藤長治、早稲田大学教授の河竹登志夫・印南高一、学習院大学教授の荒井良雄が名を連ねている。
1966年、名称を「劇団近代座」に改める。全盛期には団員が100名を超えることもあった。
1970年代後半からは活動がなくなり(詳細不明)、以降は根本嘉也の個人活動名義となる。
1990年代後半より活動を再開。
2004年、設立者であった根本嘉也が死去。会田由来が以降の代表となり活動を引き継ぐ。
2012年、当時の代表であった会田由来が死去。後継者が現れなかったため、近代座はこれで活動を終えたことになった。

トピック
・主な活動は、シェイクスピア作品の上演である。その一方で、副業として団員がテレビドラマの役やアニメ作品の声当てなども行っていた。
・設立者の根本嘉也は神奈川県出身で、同じく神奈川県出身であった野村道子と知り合いであった。 その縁か、近代座28回公演「信虎」では野村道子がゲスト出演している。
・早稲田大学の系統であることから、財団法人坪内協会とも深い縁がある。ウェブ上でも、坪内協会に関連した活動が散見される。
・近代座出身の俳優には、奥村公延がいる。
posted by SatoshiMcCloud at 07:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月23日

2013年6月の近代座研究まとめ

お久しぶりです、SatoshiMcCloudです。

ブログを書いていない間も近代座について調べていたのですが、徐々にプライベートが忙しくなってきたこと等のため、そろそろ一旦区切りをつけ、チャー研研究の第一線から一時的に退くことにしました。
数日後にカムバックする可能性については0ではない、ということにしておきます。まだ分からないことだらけでインタビューしたい相手とかもいるわけですけど、それを実現するには今の私は忙しすぎる。
まず、ここまで分かったことについて箇条書きにひたすら羅列して、次の記事あたりで根本嘉也さんのことや近代座とはなんだったのか?についてまとめを書こうと思います。




調べたいこと
・近代座の1950年〜1970年代まで、及び2000年代の活動については判明したので、その間の期間について
・代表だった根本嘉也さんについての経歴。特にテレビ業界との関わりについて。


先日、佐藤さんに電話で聞いたこと
・佐藤さん自身は23か24のときに近代座を離れシェイクスピアシアターに入ったとのこと。
・佐藤さんの近代座時代の最後の演目は「十二夜」
・根本嘉也さんの葬儀のときに佐藤さんが会田由来さんと再会、ふたたび近代座の活動を協力することに。
・根本さんの死後、近代座の活動を会田さんが引き継いだ。会田さんは2012年9月に亡くなり後継者もいないことから、近代座はほぼ消滅ということに。
・根本嘉也さんが声優プロダクションに入っていたことを伝えたところ、「根本さんはすでに演劇だけで生活できるほどのキャリアのある人物で、副業をやる必要性はなかったはず。預かりの仕事だったのでは?」とのこと
・会田さんの弟子的ポジションだった倉橋秀美さんを紹介してくれることに
・根本さんのことは先生と呼んで、偉大な人だったと証言。


後日、倉橋さんに電話で聞いたこと
・倉橋さんもまた最近になって近代座に関わるようになったので、80年〜90年代の近代座については知らないらしい。
・その上で、90年代は近代座としては根本さん1人で活躍していたのではないか、とのこと。
・倉橋さんは声優の仕事をしていた時期があった。高桑慎一郎さんの養成所に根本さんが講師として呼ばれたことがあり、それがキッカケで根本さんの活動に参加することに。
・根本嘉也さんはアーツビジョンの社長(当時の社長ということは松田咲實氏?)と知り合いだったそうな。
・根本さんについては、やはり偉大な人だったと証言。


国会図書館に行って資料を漁り判明したこと
・「しずかちゃんになる方法 : めざすは声優一番星」(著者:野村道子)に根本さんについての記述あり。野村道子さんは神奈川学園という高校の演劇部に入っていて、そのときの演劇部のコーチだったのが近代劇場を主宰していた根本嘉也さんだった。
・「末広がりで別れよう : 舞台と映画に生きた30年」(著者:奥村公延)によれば
 ・Wikipediaの現在の版と異なる記述あり。Wikipediaでは奥村さんをテレビ業界に紹介したのは近代劇場のプロデューサーということになっているが、氏の著書によればそれは「中芸」という劇団(現在の東京芸術座)の岸野さん(故人)ということでした。著書の中で中芸が社会主義の思想劇団で奥村さんはついて行きにくく感じたと述べており、やはりWikipediaにあった近代劇場との関わりは間違いだったと見るべきでしょう。
 ・近代劇場時代の話もちょこっとだけ書かれていて、代表が根本さんだったことと、当時は100名近く団員がいたとのこと、資金がないために実験的なやり方ばかりやっていたこと、トリビア的ながら根本さんは清水次郎長一家の血を引いているとか書かれてました。
・「早稲田演劇(6号)」(早稲田大学坪内博士記念演劇博物館 出版)に、根本さんを含む早稲田大学演劇科卒業生の座談会が掲載されてます。これによれば、根本さんは演出家になりたくて演劇科に入学。そのときに坪内士行先生の授業を受けたことがきっかけでシェイクスピアに興味を持つように。
・96年発行の「声優事典第二版」(キネマ旬報社 発行)によれば
 ・根本嘉也さんのことが掲載されてました。本名:根本茂、1926年1月9日産まれ。アーツビジョン所属、神奈川県の出身。出演作品は以下のとおり
  ・ルパン三世
  ・ダーティペア(ドン)
  ・鎧伝サムライトルーパー(バタモン)
  ・エルデガイン 導きの神(氷牙親方)
  ・エルデガイン続 過去の墓標ベイルガッチェ(氷牙親方)
 ・巻末のデータベースにアニメ作品一覧表があり、なんとかチャー研の名前もありましたが案の定1973年7月2日放送開始と書かれてました。
 ・また、同じく巻末のデータベースに声優所属プロダクションの表もありました。ここに劇団近代座の住所も載っていたのですが(この時に掲載されていた住所は神奈川県になってました)、掲載されている声優さんに近代座所属の人はいませんでした。誰も所属していないプロダクションの名前が何故…?


最近のむいから民家園で佐藤さんに資料を見せて聞いたこと
・先日ここでも発表した資料について、近代座の舞台「信虎」に出演した曽我町子、納谷六郎、飯塚昭三、野村道子はゲスト出演で、近代座のメンバーではなかったとのことでした。




えー、個人的に一番衝撃だったのは、奥村公延さんの著書ですね。Wikipedia全然違うじゃんなにやってんの!以前のここの記事でもWikipediaの記述との矛盾について指摘しましたが、やっぱダメダメですね。調査のキッカケとしては多少有用ですが、Wikipediaは相変わらずデタラメばっか。
で、近代座の代表である根本さんが実はテレビ業界の裏方に通じている人で、実は現在有名な声優の多くを排出してきたアニメファン的にすごい人…という仮定シナリオを想定してここまで調査してみたんですが、そのキッカケというのがWikipediaにあった奥村公延さんの記事。近代劇場のプロデューサーがテレビ局の知り合いでと書かれていたので、てっきり根本さんがテレビ業界に通じてるとばかり思ってましたが、国会図書館での調査でそれは完全否定されました。
この時代、多くの舞台役者さんがテレビドラマに借り出されてましたが、根本さんはその1人だっただけなんじゃないかなというのが今の私の見解です。紹介される側になることはあっても、紹介する側とまでは行かなかったのだろう、と。
仮説どおり進んでたら、アニメ史に残る大発見になってたんだろうなぁー。残念。
posted by SatoshiMcCloud at 01:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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